山田どうそんです。
まず、最初にお伝えしておきたいのは、僕は他人を批判するのは嫌いです。
すごく嫌いです。
なぜなら、批判されるのは人として当然嫌ですから、自分もそういうことは基本的に誰にもしたくありません。
だから、名指しで特定の人物を公共の場所で批判することは絶対にしないですし、これからもする気はありません。
でも、実は、先日作ったラジオコンテンツにほんの少しだけ他者批判の要素を含んだ内容を意図的に入れました。
簡単にいうと「Udemyでレビュー1をつける人は成功できない」という批判です。
これは、個人的に誰か特定の人を批判しているわけではありませんが、特定の「行動」に対して批判をしています。
この背景を知ることは、これからコンテンツビジネスで成功して行く上では、絶対に必要不可欠なことなので今日はその辺について話します。
集団帰属意識という心理トリガーに訴求する
人間には、強い感情トリガーとして、「集団帰属意識」というのがあります。
この心理は、「何かに属していたい」という人間の生まれ持った強い行動心理です。
この、わかりやすい例の最たるものが、「国」です。
続いて、「家族」や「会社」「宗教」などがあります。
「学校」なんかもこれにあたります。
他にも、細かいところであげたらキリがない程、人は集団帰属意識に無意識のうちに影響を受けています。
この心理トリガーを理解する上で、大事なことは、必ず、自分以外の「相手」が存在するということです。
「自分の属しているもの」と「それ以外」という他が存在しています。
これをもっとわかりやすくいうと、「味方」と「敵」という構造です。(これは自分以外が全て敵という意味ではありません。あくまでもわかりやすい構造上の話なので、これを例に話します。)
人は、状況によっては、自分とそれ以外を、無意識レベルで「敵」とみなしてしまうことがあります。
人種差別や、日本と韓国の不仲などは、その典型的な例で、これは、人間に強く根深く宿している大きな心理トリガーの1つです。
まずは、人間には、このような集団帰属意識があるということを知っておいてください。
これは、ビジネスで「人を集める」という集客の部分で必ず知っておかなくてはいけない心理です。
全ての映画のストーリーには敵が存在する
僕は、映画やドラマが大好きで、毎日のように見ていますが、必ずストーリーの中に敵がいます。
わかりやすい「悪者」もいれば、「恋敵」もいます。敵が、「自分の心の中の問題」の場合もあります。
ともかく、面白いストーリーには、現実でも仮想でも必ず自分以外の敵が存在しているんです。
もし、これらのストーリーに全く敵がいなかったらどうでしょうか?
めちゃくちゃつまらないですよね。
何も起きないんです。映画で。こんな映画を見る人はいません。(永遠に、犬と散歩しているとか、、、)
なぜ、このように、ストーリーには、必ず敵がいるかというと、人は、相対的に判断できるわかりやすい「敵」が存在しないと、物事を明確に判断できないのです。
これを、コピーライティングの世界では、「コントラストをつける」と言います。
「あっち」と「こっち」というふうに、明確に線引きすることで、自分は「敵」側ではないという心理を明確にする技術です。
この技術は、無意識レベルで至る所で利用されています。
韓国が日本を敵対視する理由もこの集団帰属意識を利用するため
韓国は日本、日本は北朝鮮、アメリカはイランなど、必ず敵を明確にして、その問題をメディアで発信します。
これは、国の内部の問題から目をそらして、外部に向けさるときによく使う手法です。(もちろんそれだけではありませんが、その要因をになっている場合もあります。)
「共通の敵」という心理を使って、集団帰属意識を持たせ、「敵は政府ではなく外にいますよ」と見せて、Weの関係にする技術です。
これは、マーケティングでもよく使われる手法です。
韓国が、仕切りに日本を攻撃するのは、このような政策の戦略としての意図もあるからです。
お金持ちと貧乏も相手がいるから存在する
例えば、日本はよく、お金持ちの国だと言われています。でも、日本国民の多くが「自分はお金持ちだ」とは認識していないはずです。
それは、自分の身近にいる周りの人と比較することで、金持ちか、そうではないかを判断しているからです。
でも、もし、自分とアフリカの難民とを比較すると自分がお金持ちで、裕福だということに気づかされます。
人は、現実を元に世界を切り取っているのではなく、相対的な周りと比較して、その比較と、自分との差で、世の中をみているんです。
だから、人の心を動かし、興味を持ってもらうためには、相対するものを明確に打ち出して、自分とそれ以外というものをわかりやすくすることが大事になります。
マーケティングで比較対象を作るのは重要なこと
僕がラジオで特定の行動に批判をしたのは、このような背景があるからです。
「Udemyのレビューに1をつける人」VS「Udemyのレビューに1をつけない人」
という構造を作ることで、付けない人は、僕とのラポールが強くなります。
「こっち」と「あっち」という構造を意図的に作りました。
こうすることで、そうではない人は、僕から離れていきますが、僕と同じ価値観の人との関係性がより強くなるわけです。
例えばこれを
「レビューは1をつけてもいいし、3をつけてもいいし、5をつけてもいいですよね。人それぞれの考え方があっていいと思います。」
と言ったとします。
これは、誰にも批判されない内容です。だって、どれでもOKと言っているわけですからね。(みんな、批判が怖くてよくこういうメッセージを言いがちです。)
でも、この文章って、批判もしていないですけど、何も言っていないと一緒です。
意味のない言葉です。
「人それぞれですよね、、、」
そりゃそうだw
になります。
こういう発信は、一見、多くの人に配慮していて、いい感じに見えますが、批判を恐れた意味のない発信ですから、誰にも見向きもされません。
だから、基本的には批判はしたくはありませんが、意識して、使わなくてはいけない場合があるんです。
多くの人に配慮したコンテンツは広告ビジネスでは効果があるがダイレクト課金ではマイナスになる
前述した、より多くの人に配慮したメッセージは、広告ビジネスで収益を上げる場合は大事です。
エンタメやテレビなどがまさにこれで、なるべく多くの人にリーチする当たり障りのない内容になってます。
誰も批判しない、誰も傷つかない。面白いとか、楽しいとか。(広告ビジネスはこのようなコンテンツ内容にしないと逆に儲からないからです。)
でも、僕が目指すダイレクト課金のビジネスモデルの場合は、これは、逆効果です。
まるで、味のしないカルピスのようなもので、うっすーいメッセージにどんどんなっていきます。
人は批判されるのを怖がるので、多くの人が当たり障りないメッセージを言いたくなります。
でも、それだと、結果的に、コンテンツ自体が忖度した内容になり、なにも伝えてない、ただのいい人で終わります。
「ただのいいひと」は、「どうでもいいひと」と紙一重ですから、気をつけないといけないと思ってます。
人や人格ではなく行動自体を批判する
ここで気をつけたいのは、人や人格を直接否定してはいけないということです。
あくまでも、するのであれば、「行動自体」を批判するのが大事です。
例えば、
「歩きタバコはダメですよね。最低だと思います。このような行為はやめるべきです。」
はいいです。でも、
「歩きタバコをする人は最悪です。人として問題があります。なんでそんなことをするのしょうか。」
これ、言っていることは、ほとんど同じなんですけど、実は、前者は、行為そのものを批判しています。
でも、後者は、その行為をする人を明確に批判しています。
正直、受けてからしたらほとんど同じなんですけど、発信する本人としては、あくまでも行為そのものを批判することを意識して発信したほうがいいです。
じゃないと、エスカレートして、関係のない人の人格までも批判しかねないからです。
例えば、
「歩きタバコをする人は最悪です。こういう人は、多分、優しさもないと思います。おそらく家族にもいい加減な方が多いと思います。」
これは、人格否定です。
歩きタバコという行為をしている=人格もダメな人
という内容のメッセージに、話が飛躍しています。
これだと、発信しているこっちが、偏見を持っている、ただの嫌な人に写ってしまいます。
これじゃあ、誰からも嫌われますし、信頼を失います。
だから、大事なのは、人ではなくあくまでも、「自分と違う行動」にフォーカスして、ほんの少しだけ、自分の意見を言うに止めることが大事になります。